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アジアの、アジア人による、アジアのための通信社 『PANA通信社と戦後日本』の著者にインタビュー

トップ画像:ベトナム戦争・アンケイ渓谷で作戦に従事した米軍第101空挺師団。負傷した戦友に肩を貸す(1966年、ベトナム)

かつて「PANA通信社(パン・アジア・ニュースペーパー・アライアンス)」という名の報道機関があったのをご存知でしょうか。創立者は第2次大戦後、戦勝国の特派記者・カメラマンの一人として敗戦国・日本にやってきた中国系アメリカ人の宋徳和(ノーマン・スーン)。「アジアの、アジア人による、アジアのための通信社」を標榜して1949年に設立され、朝鮮戦争やベトナム戦争などの報道で大きな足跡を残しました。

その後、時事通信社の経営傘下に入り、2013年には「時事通信フォト」に社名変更して「PANA」の名は姿を消しました。長年、JPAAの会員社でもあった「PANA通信社」とは歴史上、一体どんな存在だったのか。このほど「PANA通信社と戦後日本」(人文書院)を著した中部大学講師の岩間優希(いわま・ゆうき)さん=メディア学、国際関係学=にお話を伺いました。

PANA通信社と戦後日本

「PANA通信社」研究に入られたきっかけは?

岩間:私はメディア史を専攻する中で、戦争報道を研究したいと思い、史上唯一と言っていいくらい自由な報道が許されたベトナム戦争をテーマにするようになりました。その過程で、継続してベトナム戦争を報道した初の日本人ジャーナリストとして岡村昭彦の存在を知り、彼が「PANA通信社」の契約カメラマンだったことから、「PANA」のことも調べるようになりました。

― 創立者の宋徳和さんとはどのような方ですか?

岩間:客家系の中国人を両親として1911年、ハワイに生まれました。英語で教育を受け、北京(当時は北平)の燕京大学に進学。ここで客員教授を務めていた米ミズーリ大学ジャーナリズム学部のフランク・マーティンに出会い、その教えに感銘を受けてジャーナリストを目指します。ミズーリ大に留学後、中国に戻って英字紙などを経て、国民党系の「中央通信社」(以下「中央社」)に職を得ました。第2次大戦後、「中央社」の東京特派員として来日したのを皮切りに、1962年までの17年を日本で過ごします。

― 宋さんは日本や日本人にどのような印象を持っていましたか?

岩間:宋さんは戦前から日本人とのかかわり、交流はありました。その時に接した日本人は本当に平和的で、知識もあって素晴らしい人たちだったのに、戦争中の日本軍の残虐ぶりを見ていると本当に強欲で、あれが同じ日本人なのかという印象を持っていたようです。ところが敗戦後、来日して農民だったり、商人だったり、政治家だったり、いろんな層の日本人と接して、本来勤勉で親切な日本人が戦争に突き進んだのは、よい政治的指導者がいなかったことと、よい報道機関を持つことができなかったためだと考えたんです。

― 本の中には、東條英機元首相が東京裁判で絞首刑を宣告された時、奥さんと娘さんをマスコミの目から逃すため、宋さんが自宅にかくまったというエピソードが紹介されています。

岩間:宋さんは政治的立場、国籍、民族にかかわらず、人間同士として人と接することができた人です。東條元首相のご家族の件も、苦境の中にある人たちを助けたいという気持ちだったと思います。その時のことを自身で記事にすることは一切しませんでした。そういう宋さんの人間性を戦後日本の政治家や財界人たち、例えば白洲次郎や鳩山一郎元首相なども高く評価していました。

「PANA通信社」設立のきっかけは?

岩間:一番大きかったのは1949年の中華人民共和国の成立です。共産党に敗れた国民党とともに台湾へと移らざるを得なくなった「中央社」もかなり規模が縮小し、今までのような形での報道はできなくなった。東京支局は大きな変更はなかったようですが、宋さんにとっては「中央社」の先が見えないというのが(転身を考えた)一番大きな理由だったと思います。それに宋さん自体、非常に世界的視野を持った人ですから、国民党の機関である「中央社」でというより、もっと自由な立場でアジアの激動を伝える必要性というのをずっと考えていて、そのタイミングで新しい通信社を立ち上げることを決意したんですね。

― 「アジア人による、アジアのための通信社」というのは宋さんの理想ですか?

岩間:当時は、アジアの国々がそれまでの欧米などの植民地支配から次々独立したりしている状況です。正にナショナリズムの高まりの時期でもありました。ただ、どの国もやっぱりまだ独り立ちした直後で非常に脆弱ですから、そうした国家同士が協力し合って列強からの干渉というのをはねのけていかなければいけない、また、それぞれの国内の共産主義勢力とも対峙しなくてはいけないということがある。そうするための手段、枠組みとして、アジアの国々が団結し、それがアジア人による新しい試みとして注目されていました。その流れの中で、有名なところでは1955年にインドネシアで開催された「バンドン会議」がありますが、そこで謳われた反帝国主義、反植民地主義、そういう思想と「PANA」を作った宋さんの考えは同じ潮流にあったと思います。

朝鮮戦争~米軍の仁川上陸作戦(1950) (時事通信フォト提供)
朝鮮戦争~米軍の仁川上陸作戦(1950)
(時事通信フォト提供)


― 
「PANA」の「アジアのための」報道とは具体的にどのようなものでしょうか?

岩間:何か出来事があった時に、アジアのその地域にどういう影響があるのか、そこに住んでいるアジアの人たちがどう考えているかとか、庶民、一般国民にどういう影響があるかみたいなところも「PANA」は報道に取り入れていたようです。欧米の通信社や報道機関だと、アジアのその国の発展を思って書かれる記事なんて当時はほとんどなかったでしょう。そのあたりを、アジアの記者が現地の目線でとらえ、どういった選択をするのが地域の人たちにとってよいか、あるいはある事実や決定が現地にどういう影響があるか、そういった視点を「PANA」は重視していたと考えています。

― 「PANA」は東京以外にアジア各地に31もの支局を擁するなど広範なネットワークを持っていたそうですね。1963年には岡村昭彦さんをベトナムに送り込み、サイゴン支局を開設しています。

岩間:バンコクでの取材を望んでいた岡村さんにベトナム行きを強く勧めたのは、「PANA」シンガポール支局長だった陳加昌さんという方です。ベトナムは1954年に独立戦争に勝利し、フランスは撤退しますが、陳さんは1956年から長期に渡り現地を何回も取材されていて、要人にもインタビューを重ねています。フランスに代わり、アメリカが軍事顧問団を送り込むようになり、1960年には南ベトナム解放民族戦線が設立される。事態がどんどん泥沼化していく中で、アジアの中でベトナムが最も重要なニュース発信地になる、というのは早い時期から陳さんには見えていたわけですね。その時点で日本人も日本のメディアも気付いていませんでした。

― 陳さんのサポートもあって、岡村さんの解放区への潜入ルポという世界的なスクープが実現したのですね。

バンドン会議~報道陣に囲まれる中国の周恩来首相(1955)(時事通信フォト提供)
バンドン会議~報道陣に囲まれる中国の周恩来首相(1955)
(時事通信フォト提供)

メディア史における「PANA通信社」の存在意義は?

岩間:個別の事例で言えば、岡村さんがベトナムに入り込み、現地の状況を報道することによってベトナムの民衆のことを日本人が知ることができた。これは「PANA」のネットワーク、アジアのネットワークがなければできなかったことです。1964年の東京五輪の時でも、「PANA」のカメラマンはAPなどのカメラマンがトップのアスリートを撮影している横でたとえビリでもアジアの選手を撮っているわけですね。それが本国の新聞に載ることでアジアの人たちは自国選手の活躍を見ることができた。「PANA」の取材がアジアにとって重要な情報になったというのがわかります。もう少し大きな観点で言うと、「PANA」はアジアのジャーナリストたちがいっしょになって起こした、おそらく史上初の事業なんです。規模と形態から言うと史上唯一と言っていいでしょう。最終的に理想通りにはいかなかったとしても、今後、アジアの人たちが集まって何かやろうという時に、「PANA」の体験や歴史というのは非常に大きなものだと思います。

― 21世紀に入り、中国の超大国化、北朝鮮の核武装化による緊張などアジア情勢は日々、世界から注目されています。このような時代に、同じアジアの報道機関、メディアが果たすべき役割は?

岩間:報道において対立を煽ったり、相手国のことを悪く言って、自国を称揚するようなニュースというのは、一時的には人気を集めても、長期的には社会に取り返しのつかない損失をもたらすことをメディアはぜひ考えてほしいですね。そうではなく、考え方が違う同士が議論をするという企画を促進することがメディアのひとつの役割としてあると思います。「PANA」のようなプロジェクトは、通信社という形態としては難しいかもしれませんが、例えばアジア何カ国かの記者がいっしょにどこかを取材して、それぞれの目線で書いた記事がひとつの新聞に載ると、こんなにとらえ方が違うんだっていうのが分かりますし、そういう企画があったら面白いんじゃないでしょうか。

― どうもありがとうございました。


岩間優希(いわまゆうき)

岩間優希(いわまゆうき)

profile
愛知県生まれ。中部大学国際関係学部を卒業後、同志社大学でメディア学を専攻。その後、立命館大学の博士課程に編入し、「ベトナム戦争と日本のジャーナリズム」を研究。2015年から中部大学全学共通教育部講師。主な著書に「文献目録 ベトナム戦争と日本」(人間社)、「戦後史再考―『歴史の裂け目』をとらえる」(共著、平凡社)など。

 


デジタル化が、写真の山を金の鉱脈に変える

毎日、多くの写真を扱う報道機関。これまでに蓄積された写真は、それこそ膨大な量にのぼります。以前、朝日新聞社では、テレビや雑誌など他のメディアからの希望があると、該当の写真をプリントして渡していたそうですが、最近ではデジタルによるアーカイブ化が進み、その利用法も変化してきたと言います。

朝日新聞社の吉田耕一郎さん(デジタル本部コンテンツ事業部/写真事業担当部長)と柏木和彦さん(朝日新聞フォトアーカイブ/次長)に、報道機関における写真の流通事情について昨今の様子を伺いました。

※トップ画像:ISが爆破したヌーリ・モスクの敷地。

新聞社の写真は外部の企業や個人も使えますが、その使用法に変化はありますか。

柏木和彦さん(以下、柏木。敬称略):
以前は写真を使いたいと連絡があったら、プリントして郵送するというサービスを行っていました。大変手間がかかり、またデジタル化の波もあって、2010年に「朝日新聞フォトアーカイブ」というWebサイトを立ち上げました。日付やキーワードで簡単に写真の検索ができるサイト。新聞社が扱う写真の量は膨大で、デジタル化して公開できる枚数は年に約15万枚あり、現在、サイト上では約280万枚の写真が公開されています。

吉田耕一郎さん(以下、吉田。敬称略):
必要な写真がすぐにデータでダウンロードできるようになったせいか、活用方法の幅が増えてきたように感じます。以前はやはり報道使用、テレビや雑誌で使われることが多かったですね。今ではCM、広告、社史など、報道以外の利用も増えてきました。

柏木:メディアだけではなくて、たとえば「今日の出来事」を毎日掲載していくデジタルフォトスタンドなどでの利用も。新聞社の写真をそんなふうに使っていいんだ、という驚きの声もありますが、汎用性が出たというのは大きな動きですね。
新聞社の姿勢としても、写真というコンテンツの重要さにようやく気付いた、という段階です。

2・26事件の様子
2・26事件の様子。

 

凱旋門頂上からのエッフェル塔
凱旋門頂上からのエッフェル塔。

膨大な分量の写真は、どのように保管・管理していますか。

吉田:フィルム時代の写真については、弊社内でスキャンをして、著作権の確認、撮影者、撮影状況など書誌情報と併せてデータにします。現在のデジタル写真については、紙面で使用するために出稿作業を行うと、情報と共に自動的に取り込まれるようになっています。
それらの写真データは、外販できるかどうかを1枚ずつチェックして外部公開しています。写真原本は、スキャンしてデジタル化しても捨てたりせず、倉庫に保管しています。戦前の貴重なネガやプリントなどもありますので、今後は、温度、湿度管理が整っている専用の倉庫での保存も考えています。

――そうした写真の著作権の管理は?

吉田:著作権については弊社が保証しますが、肖像権などそれ以外の権利については使っていただく方に確認してくださいね、とお願いしています。

柏木:特に広告に使用する場合は、注意が必要です。お祭りなど多くの人が集まる場の写真に偶然写っていた人、たまたま背景に映り込んでいた企業の看板など、わりと火種が隠れていることが多いので。

吉田:弊社に許諾を取らないで写真を勝手に使われることもあります。取り下げてくださいと警告を出しますが、全部を探し切れないですし、一般の方から教えていただくこともあってその都度、警告を出すことにしています。不可視のウォーターマークを入れてはいるのですが常時監視していることはできないし、どうやって制御するかはまだ課題です。

――一般の方が撮影した写真につては、著作権の扱いはどうしていますか。

吉田:一般の方が撮影した写真や動画については、著作権はその方にあります。事件現場などでは、撮影者が一般の方、というのはよくあることので、記者は現場に到着したら「まず撮影者を探せ」というのが鉄則です。当然、画像を提供していただくことになります。提供写真は撮影者の許諾が得られた場合のみ販売します。

柏木:提供写真などについては、我々は自由にその写真を使うわけではなく、紙面やデジタル版に掲載していいか、アーカイブで販売してもいいかと一つずつ許諾を得るようにしています。中には、紙面はいいけどアーカイブは拒否されることもありますので。著作権者の意思を尊重するのが最優先されます。

東京五輪物語 白河の聖火リレー
東京五輪物語 白河の聖火リレー。

歴史写真や報道写真の貸し出し対応について、今後の展開をどのようにお考えですか。

吉田:歴史と報道、これは弊社の一番の財産ですね。企業の社史や年表など、何かを振り返るときには起こった出来事と一緒に写真を付けるのがわかりやすいです。山梨県のあるワイナリーではワイン樽が製造年ごとに並んでいて、樽の上にその年に起きた出来事の写真がずらっと並んでいたのが壮観でした。こうやって記事と写真をセットで売ることもできるんじゃないかと気付いたところもあります。

柏木:周年を迎える企業は、大きなターゲットになりますね。何年頃のあの出来事を探したい、となったらWebで検索できるのがやはり便利。特におすすめは1964年の東京五輪の聖火リレーの写真。各都道府県のシーンをそろえました。

吉田:聖火が来ると聞いて、町をあげてお出迎えしていている写真がとても印象に残りました。正装して待っている人達もいて、時代の雰囲気がわかりますよね。
それから、沖縄の戦前の写真も弊社で特集しました。沖縄タイムスと連携して、戦争前に撮影されたフィルムを全部スキャンし直して、写真集にしたり写真展を催したり。

――教科書など、教育関係への写真使用にも力を入れているとか?

柏木:現在、「歴史授業キット」を準備中です。これは、キット内に用意された中から、授業用に写真を自由に選んで使えるシステムです。電子教科書や電子黒板の普及で、教育現場での写真の需要はますます高まっていくと思います。

1935年、沖縄・糸満。漁から帰る夫を待つ妻たち
1935年、沖縄・糸満。漁から帰る夫を待つ妻たち。

新聞社の写真の未来は

吉田:新聞の制作についてはデジタル化が進んでいるのに、写真は紙焼きやフィルムでしか残っていない。以前は編集部門が使う際には1枚1枚スキャンしてデータを取り込んで、という作業がとても大変でした。ですから写真データをデジタル化してアーカイブしたことは、実は社内の需要に応えるためでもありました。デジタル化には、社内でも使いやすく、外販もしやすい、その両面があります。
特に地方紙などではまだ写真アーカイブのデジタル化が進んでいないところもありますが、きちんとデジタル化してサイトで公開すれば社内にも社外にも利便性があることがわかれば、もっとデジタル化が進むのではないかと思います。

柏木:デジタル化には、フィルムを見て理解ができる人材が必要。さらに紙焼きの裏に少しだけ書かれた説明文を元に、どこで何が起こったときの写真なのかを調べなくてはなりません。過去の写真にさかのぼって、計画的にやっていくことが、社内でも再認識されています。

――過去の写真すべてがアーカイブされたら、すごい財産になりますね。

柏木:そうですね。6年ほどかけてデジタル化して、ようやく数がそろってきたところです。膨大な写真は、倉庫に置いてあるだけではもったいなくて、世の中に出て初めて役に立つもの。報道以外の分野でも使ってもらえるとうれしいですし、デジタル化していろいろな場面に使ってもらうというのが、写真の一番の使命なのかなと思います。


吉田耕一郎 / 柏木和彦

profile
吉田耕一郎(よしだこういちろう)=右
1987年、朝日新聞社入社。広島支局、大阪写真部、西部写真部、東京写真部、写真部新潟駐在、東京報道局写真センター(フォトディレクター)などを経て、2012年4月から朝日新聞フォトアーカイブ担当部長。

柏木和彦(かしわぎかずひこ)=左
出版社勤務を経て、1990年に朝日新聞社入社。東京、仙台、福岡でカメラマンとして勤務。他に別刷りの『be』や出版局(現・朝日新聞出版社)で写真セレクトを担当。2010年にフォトアーカイブに異動し、現在は営業担当次長。


映像素材のライブラリー企業で、今起こっていることとは?

日本映像・音楽ライブラリー協会は、業務用の映像素材と音楽素材を提供しているライブラリー企業の集合団体です。今回は、協会の会長を務める横山一隆さんにインタビュー。映像ライブラリーを扱う企業の現況や今後の課題などについて伺いました。

横山一隆

日本映像・音楽ライブラリー協会とは、どんな団体なのでしょうか?

協会の発足は1993年。写真の協会はすでにできていましたが、映像や動画を扱う企業の協会はまだありませんでした。そこで、映像という素材に価値を持たせて世の中にもっと知ってもらおうという目的で、横のつながりを作りました。

協会では、映像や音楽素材の利用方法のガイドを作ったり、著作権をクリアにして使用するにはどうしたらいいかという啓蒙活動を行っています。現在は18社プラス特別協賛企業が2社、加盟しています。映像と音楽は切っても切れない関係性がありますから、音楽素材を扱っている企業も自然に加わりました。

協会に加盟している企業にはそれぞれ個性があり、たとえば歴史素材だけを扱っているところや、ヘリやドローンによる空撮が多い企業、海外の会社のライブラリー素材を扱っていたり、劇映画などハイエンドのユーザーさんに提供する素材を扱うなど、さまざまです。

日本映像・音楽ライブラリー協会
日本映像・音楽ライブラリー協会 http://www.jvla.gr.jp/

映像素材では、どのようなトラブルが起こりがちですか。

写真でも同様のトラブルがありますが、勝手に映像をダウンロードしてしまう人が後を絶ちません。ダウンロードした映像を、誰でも簡単に見られるサイトに再アップされたりして、これは大変困りますね。

あとよくあるのが、Vコンへの無断使用です。Vコンとは、CMなどの動画撮影を行う前に作るコンテなのですが、絵ではなくサンプル動画を編集して実際のイメージに近いものを作るものです。ライブラリー素材には不正使用を防ぐためにサンプル映像であることがわかるマークが入っているのですが、そのマークが入ったままVコンを作ってクライアントの前で試写を行い、実際の制作に入るとその動画は使わない、となってしまう。サンプル使用であっても試写用Vコンに使ったわけですから、無料で使われるのはおかしいのです。明確な規定がなく、また「実制作ではないので協力してほしい」と言われることもあり、この件については各社で足並みをそろえて対処しなくてはいけないと考えています。

よくセミナーを開催されているそうですが、どのような内容なのでしょうか。

著作権に対して世間が敏感になっているのは写真も動画も同じようで、著作権に関する内容が多くなりました。人物の写り込みや特定の建物などはどこまで撮影していいのか、という質問をよく受けます。

著作権以外の問題で写真と決定的に違うのは、映像の場合は規格が大きく変わるとその影響を大きく受ける、ということです。規格というのは、撮影機材の規格のことで、ハイビジョンから4Kに、そして今や8Kの時代が来ています。高画質化がどんどん進むと、以前の規格で撮った映像は画質が荒く見え、視聴者には抵抗があります。フィルムの場合は元々が高画質のため、たとえ古いものでもデータを取り込んでしまえば修正して、今と遜色のない状態で見ることができるのですが、映像はそうはいきません。風景など汎用性のある映像をライブラリーで残したとしても、機材が進化するとその映像が意味をなさなくなってしまいます。そのような事態に、映像に携わる我々はどのように対処すべきか、以前に撮った映像の価値をどう引き出すかが大きな課題です。

またこのところ注目度が上がっているのは、ドローンによる空撮です。撮影は、どこで撮るか、どういうレンズで撮るか、どの角度で撮るか、この3つが基本的かつ大切なポイント。カメラマンによっては、「自分だけが知っている、ベストショットが撮れる場所」があって、たとえば秋に落葉すると向こうの山の峰がキレイに撮れるとか、登山道からは見えないけどここからは眼下が一望できるとか、秘蔵場所があったものです。それがドローンの登場によって、いつでもどこでもどこからでも撮れるようになってしまった。基本の3つを一気に解決する画期的なことでした。

ドローンは事故も多く、2015年から通称ドローン規制法(改正航空法)が施行され、禁止ルールが明確になりました。規制地域内であればたとえ自宅の庭であっても、200g以上のドローンを操作するのは禁止されています。当然、他の場所であっても撮影の際には国土交通省に許可を出さなくてはならないので、今後はこういった話もセミナーで共有できたらと思います。

今後の展開については、どのようにお考えですか。

日本映像・音楽ライブラリー協会ができたときは加盟会社が25社だったそうです。それからは減ってしまいましたが、まずは加盟会社を増やすよりも、協会の活動が活性化させて業務量が増やし、必然的に加盟会社が増えるようにしていきたいですね。そのために、サイトの刷新を行い、見やすく使いやすい場にしました。ヘルプデスク機能を設けたので、「こんな映像がほしい」と連絡を入れていただければ、いちいち各社に聞かなくても加盟各社に一度に確認が取れるようになっています。

昨今ではデジタルサイネージがとても増えたので、そこをターゲットにリーズナブルに映像を使ってもらえるライブラリーを考えることにもチャレンジしています。
映像とネットは親和性がいいので、デジタル化の波に乗って、うまく拡大していければいいなと思います。そのためにも、時代に合わせた展開方法を今後も考えて実行していきたいです。


横山一隆(よこやまかずたか)

profile
トーフナ映像株式会社代表取締役。1981年トーフナ映像株式会社設立。カメラマンとして業務に携わる。1985年から空撮業務を開始。昭和天皇崩御の際には、大喪の礼の空撮に参加。1998年の長野オリンピックはプレから参加し、本大会時は白馬周辺の滑降、ジャンプを空撮担当。その他、映画やCMで多くの作品に参加。2012年からドローンによる空撮を開始、カメラマンとして撮影継続中。


今、注目の著作権セミナー。知っておくべき画像の権利とは?

東京オリンピックのエンブレム問題で、にわかに注目を集めた著作権。画像を利用する際に著作権のことをどこまで知っておけばいいのか、気をつけるポイントはどこなのでしょうか。定期的に著作権セミナーを開催しているアマナイメージズの佐々木孝行さんに、セミナーを行う理由と意義について聞きました。

著作権セミナーを行うことになったきっかけは?

もともとは社員研修が最初でした。アマナグループはビジュアルコンテンツを制作する会社であり、社員一人一人が著作権に関する意識を高く持つ必要があります。教える側のメンバーとして自分も参加しており、その後、取引先の広告代理店や制作プロダクションなどに「ぜひウチでもやってほしい」と声がかかるようになりました。

そうしているうちに、JAAA(日本広告業協会)のシンポジウムに呼んでいただいたのが、その後継続的にセミナーを行う大きなきっかけになりました。電通をはじめとする大手広告代理店や制作プロダクションの法務担当の方が数多く出席する会で、撮影現場での権利処理に関してストックフォト提供者の観点から話をしたところ、口コミで広まったようです。

セミナーニーズの背景には、どのようなことが考えられますか。

写真のデジタル化が進み、画像の取り扱いが簡単になったことが大きいですね。デジタルの場合はデータのやりとりが簡単な分、いつの間にか画像が勝手に使われているなど、データが独り歩きしがちです。結果、無意識の著作権侵害による事故が増えていくので、未然に防ぐための啓蒙が必要だと考えましたし、画像を利用する側も同様に思ったのではないでしょうか。

東京オリンピックのエンブレム問題直後は、多い時で月に15回を越えるなど、悲鳴を上げたくなるようなご依頼をいただきましたが、今でも月に2、3回ほど開催しています。対象は、制作の現場で実際に画像を利用するデザイナーなどのクリエイターが約7割。残り3割は営業部門であったり、マーケティング部門、広報などさまざまです。広告制作の会社だけではなく、食品や電化製品のメーカー、不動産会社などもあり、世の中の流れとして著作権のことをきちんと勉強させたいという企業が増えてきたように感じます。

ベネッセグループ研修会場でのセミナーの様子。
ベネッセグループ研修会場でのセミナーの様子。

セミナーでは、どのような講義を行うのでしょうか。

著作権の基礎的な話から始まって、世の中の権利に関する動き、たとえば今ならTPP加盟で予想される変化や、ジャパンコンテンツ輸出に向けた国の動き。そして過去の判例と合わせて、これまでに実際に経験したトラブルの事例などを中心に、90分ほど話します。

クレームでいちばん多いのは建物ですね。神社、寺、有名なビルなど、権利者からクレームがくることがあります。もともと恒常的に設置されている建物やビルなどは、自由に撮影して広告に使用しても法的には問題がないことが多いです。私有地の中とか撮影禁止の場所で撮っていなければ、むしろ撮影者側の著作権が優先されます。したがって、クレームには何ら法的な論拠がありません。

しかしながら、広告の場合は、そのクレームが制作側ではなく直接クライアントのところに行ってしまいますから大騒ぎになる。法的に問題がなくても、クレームをつけられたということ事態、企業としては敬遠します。セミナーでは、法的な観点で注意しなくてはならないことは何か、それとは別にクレームを未然に防ぐためにはどうしたらいいか。この2つの観点で話をしています。

セミナーでよく話される内容は、他にどんなことがありますか。

クリエイティブ系の人の関心は、「パクリはどこまで許されるか」。これは過去の判例を示して解説します。日本の著作権裁判は歴史が浅く、なかなか判決まで持ち込まれるものが少ないです。途中で和解してしまうと裁判がどんな内容だったのか、なぜ著作権侵害に触れることになったのかといった話が表に出ないので、判決が出た事例は大いに参考になります。

類似したキャラクターを使ったとされた、博士イラスト事件。
類似したキャラクターを使ったとされた、博士イラスト事件。

 

写真のパクリ裁判としては国内最初の事案とされている、みずみずしいスイカ写真事件。
写真のパクリ裁判としては国内最初の事案とされている、みずみずしいスイカ写真事件。

 

それと、よくトラブルになるテーマとしては、センシティブ使用があります。たとえば、「私も愛用しています」と、精力剤や育毛剤の愛用者の声を代弁しているようなモデル写真の使い方。実際にはそうではないにも関わらず、です。他には、20代のモデルなのに、「私はこれでも40代です」と化粧品やエステの広告に利用されたりします。利用規約では禁止行為になっているのですが、ストック画像なら何に使ってもいいと勘違いしている人がいますが、これは要注意です。

また最近では投稿型の写真販売サイトが増えてきましたが、投稿する側の撮影マナーや、情報精度に対する姿勢がかなり危険だなと思うことがあります。そういう意味では、利用する側で、写真と説明文が本当に合っているのか、慎重に確認することが必要でしょう。今後、このような形のサイトが増えるでしょうから、投稿する側、利用する側、両者への啓蒙が必要だと感じています。

よく質問されることは何でしょうか。

最近多いのは、プレゼン資料の中でどこまでネットの画像を使っていいのか、です。杓子定規に言ってしまえばすべてNGですが、「引用」として使う方法をアドバイスしています。たとえば、説明を補足するための具体的な資料写真として使う場合。これは条件を満たすことで引用できる可能性があります。

ウォーターマーク入りの画像も安易に使われることが多々あります。本来、プレゼン使用として許されるのは、その写真を広告などの素材として使用するかどうかを検討する場合のみですから、全く関係のないプレゼン資料にイメージカットとして使用することは、完全なる著作権侵害ですね。

それと、「ロイヤリティフリー」を誤解している人も多く見受けられます。「フリー」を拡大解釈して、自分が買った画像はどんな形でも使えると思い込んでいる人がいます。また、すべての権利処理がされている画像だと思っている人も。実際には使用にも禁止行為があり、権利処理もすべてクリアしているというわけではありません。「フリー」という言葉を、都合のいいように解釈しないよう気をつけましょう。

あと質問で多いのが、写り込んだ看板の処理に関する質問です。風景の一部として撮った写真に写り込んだ看板であれば、その写真を広告に使用したとしても何ら問題とはなりませんから、あまり神経質にならないようにアドバイスしています。

また、写真の輪郭線をトレースしてイラストを描き起こす行為。これもれっきとしたパクリ行為になります。

著作権について、今後はどんなトラブルが起こると予想されますか。

これまでになかった新しいメディアが登場し、デジタルとアナログの垣根すら曖昧な時代になってきました。トラブルがなぜ起きてしまうのかという理由の一つに、ルールそのものが時代に追いついていないということも言えると思います。著作権の保護を目的にするのではなく、より社会に役に立つライセンスの考え方や管理方法を、我々のような業界がリーダーシップを持って提案していく必要があると思います。


佐々木孝行(ささきたかゆき)

profile
株式会社アマナイメージズ取締役。長年にわたり、クリエイティブ素材の流通ビジネスにおける商品開発を、責任者として担当。世界中の著名写真家やクリエイターとの契約締結を数多く手がける一方、制作の現場で発生したさまざまなトラブルの解決を指揮。安全な写真の利用啓蒙を目的に、一般企業での著作権セミナーの講演や業界シンポジウムのパネラーを数多く務める。


CEPICの総会で感じた、写真業界の世界的な潮流

CEPICとは、ヨーロッパを中心とする20カ国・約800のフォトエージェンシーが加盟する業界団体です。メンバーには規模の大小を問わずさまざまなフォトエージェンシーを始め、著名な美術館やギャラリー、通信社が含まれています。
WIPO(世界知的所有権機関)のメンバーとして著作権の保護に取り組むだけでなく、写真家とフォトエージェンシーの健全な関係を促し、業界全体の成長を促すための活動を行っています。

CEPICの総会は年に1回、開催されており、2016年は5月末にクロアチアの首都ザグレブにて開かれました。その総会に参加した、時事通信フォトの本山洋文さんにインタビュー。普段、海外の提携会社との連絡や調整、海外からの注文に応えて写真を配信するといった業務を行っている本山さんに、総会の様子や写真業界の世界的な潮流について感じたことを伺いました。

CEPICのHP
CEPICのHP。 http://cepic.org/
総会の様子は動画でご覧になれます。 http://cepic.org/congress

2016年の総会への参加者、参加国数はどの程度だったのでしょうか。

今年は34カ国から213社が参加、総会への参加登録者数は356人でした。これは例年より少ない人数です。

日本からの参加は、弊社とピクスタの2社のみ。私は2012年、2014年、2015年、そして2016年に参加していますが、今年は最も日本のエージェンシーの参加が少ない年でした。

日本だけでなく地元のヨーロッパのエージェンシーの参加も減っており、CEPIC事務局長のシルビ・フォドル(Sylvie Fodor)さんにお話を伺ったところ、参加者の減少は重大な問題だと認識されていました。

減少の理由については、まず写真を扱うエージェンシーの数が世界的に減っているということ。今年の初め、中国のビジュアル・チャイナ・グループがコービス・イメージズを買収したのは、大きなニュースでした。このように、業界が縮小傾向にあることが理由の1つと考えられます。

もう1つは、それぞれのエージェンシーが総会に派遣する人員を財政的な理由で減らしているということ。これはリーマン・ショック後の世界的景気減速からまだ抜け出ていないことなのだと認識しています。

CEPICへの、新規の参加会社は増えているのでしょうか。

これまでアジアからは、日本、韓国、インドからコンスタントに参加会社がいました。最近増えているのは、中国のエージェンシーです。

それから、マイクロストックの会社が複数参加しています。前述のシルビさんによると、クラウドソーシングを行う会社が増えているということでした。大量のビジュアルをクラウド上で管理し、その技術を使っていかに簡単に早く安く提供できるかが、デジタル時代の今、必要とされているのだと思われます。

CEPICでの会場の様子。
CEPICでの会場の様子。

2016年のCEPICでの大きなテーマは何でしたか。

CEPIC主催の大きな集まりの1つに、「IPTC (International Press Telecommunications Council/国際新聞電気通信評議会)メタデータコンファレンス」があります。2007年から毎年、開催されてきたもので、今年の議題には以下の3つが挙がりました。なお、①については、長年IPTCに関わってこられたelectric laneのサラ・ソンダース(Sarah Saunders)さんにご意見をいただきました。

①写真の価格が急落する中で、いかにライセンス収入を確保するか

ここ数年、写真業界の中でずっと問題になっているのが、写真の低価格化です。今までの売り方だと単価が下がると売り上げも下がる一方なので、コンテンツ、特にビジュアル素材を扱っている会社にとっては共通の悩みではないでしょうか。

その中で新たなビジネスモデルが生まれており、そのうちの1つが「フリーミアム」と呼ばれるもの。これは、フリー+プレミアムの造語で、最初は画像やコンテンツを無料で提供し、さらなるサービスが必要な人はお金を払うという課金スタイル。入り口は無料で途中から有料になるこのシステムは、写真業界の中では生まれたばかりで今後急成長が見込まれています。

また、従来型のライツマネージドに代わり、サブスクリプション(定額)のライセンス方式を導入している会社も増えてきており、写真の低価格化に拍車をかけています。

②著作権の保護

画像がデジタル化されるようになってから、著作権をどうやって守っていくかはもう何年も大きな課題になっています。その中でも特に、Webやソーシャルメディアに画像がアップロードされた際に、メタデータが消されてしまうという問題が話し合われました。

IPTCにおける独自の調査では、ほとんどのソーシャルメディアではメタデータが消されてしまっているか、適切に表示されていないことが判明しました。メタデータには画像の権利に関する重要な情報が含まれているので、これは問題です。とはいえ、ソーシャルメディアは自分たちの画像を宣伝してくれるツールにもなるわけで、そのメリットを最大限に活用しつつ権利を守るにはどうしたらいいかということが議題となりました。

③動画メタデータの標準規格を発表

これは「IPTCビデオメタデータハブ」というもので、2014年から議題にのぼっていて、今回ようやく最終案が出ることになりました。2016年10月末のIPTCの総会で決定する予定です。今後は動画の取り扱いも増えるであろうことを見越しての動きです。

IPTCでの会場風景。
IPTCでの会場風景。

この質問については、CEPIC執行委員会の会長であるアルフォンソ・グティエレス(Alfonso Gutierrez)さんから回答をいただきましたので、それを訳してご紹介します。

<回答>

市場の動向について、独善的に意見を述べることはできませんが、私の会社(訳注:グティエレスさんはage fotostock社の創業者)のダウンロードデータ(THP=Technological Hosting Platformの最近の画像ダウンロード状況に基づく)からは、次の傾向が見えてきます。

  • ライツマネージド(RM)→利用率の増加
  • ロイヤリティフリー(RF)→利用率の減少
  • 低価格RF→利用率の減少
  • 動画RM・RF→ごくわずかではあるが、利用は増加傾向

RMのライセンスは、出版などいくつかの使用方法・媒体で好調であり、利用が増加していると考えています。

一方、広告については、マイクロストックやRFへと移行しつつあり、そのため一部の例外を除いて、かつてのような高価格を維持することが難しくなっています。

さらに、下記のグレーで示した使用方法・媒体については、独占使用の保証を求めてRMが購入される傾向にあります。

■出版
■装飾
■広告
■パッケージ
■カレンダー
■旅行パンフ
■ゲーム、おもちゃ
■ニュース
■マルチメディア
■インターネット

青は好調グレーは低調赤は価格が変動

世界の市場は均一ではなく、どこも同じような変化が起こっているわけではないことを述べておきたいと思います。

ストックフォト市場は非常にダイナミックであり、常に新しい技術やビジネスモデルに適応してきているのです。たとえば、日本ではマイクロストックはまだ確立していないかもしれませんが、米国では既に成長の停滞期に達しており、「プレミアムRF」といったマイクロストックの欠点を補うビジネスモデルが生まれてきています。

CEPICの総会に参加されて、本山さん自身はどのような感想を持ちましたか。

時代の変化の中にあって、急に流れが変わったというよりは、ここ2、3年で感じていた流れがますます強くなったという印象を抱きました。スマホとソーシャルメディアの普及は写真の見方を大きく変えました。画像コンテンツの爆発的増加に伴う写真単価の下落は続いており、各社は新たな収入源を模索しているのではないでしょうか。ストックフォトの仕事がなくなるわけではないとCEPICでも話題にはなっていましたが、写真の価格がどこまで下がるかは心配ごとの1つです。

また写真が売れなくなってしまうとビジネスが成り立たないので、写真エージェンシーとしても報道機関としても大きな問題に直面しつつあるのだという実感を抱きました。

ヨーロッパのエージェンシーは4〜5人で経営しているなど、小規模な会社も多いのですが、それらが大手に飲み込まれないのは、医療や自然、建築など、専門性の高い分野に特化しているからです。そのような強みのあるエージェンシーとの情報交換ができたことは、非常に有意義だったと思います。


本山洋文(もとやまひろふみ)

Profile
2000年にパン・アジア・ニュースペーパー・アライアンス(現時事通信フォト)入社、旅行記事の翻訳、時事通信「デジタルフォトサービス」の開発などを手掛け、現在は海外エージェンシーとの交渉、及び英文エディターとして海外契約社向けのニュース写真配信を担当。


日本写真著作権協会常務理事・瀬尾太一さんに聞く【後編】著作権を取り巻く今後の動きと課題について

写真分野の統合組織として、写真業界における著作権活動を行ってきた日本写真著作権協会。時代の変化の波を受け、著作権に対してどのような活動を行っているのか、また今後の課題などについて、日本写真著作権協会の常務理事・瀬尾太一さんに、お話を伺いました。【前編】に続き、【後編】をご覧ください。

著作権の変化の流れは、どのような方向に向かっているのでしょうか。

著作権が、守るのではなく「使う」時代になってきたと強く感じます。「それは著作権があるから使ってはいけない」ではなく、「著作権が認められるので使用を許諾します」ということですね。「拒絶」ではなく「許諾」するための著作権であること。これは従来とは大きな違いです。

たとえば、以前に出版された写真集の中の写真を使いたいとします。写真集の版元に連絡をして著作権者の連絡先はわからないと言われると、著作権の確認ができないので写真は使えません。となったときに、その写真は使わない、あるいは許諾が取れないからパクっちゃおう、という事態が発生します。このように需要はあるのに許諾が取れず、使用できない状態を「市場の失敗」と呼びます。そしてこのような状態は、法的に使っていいという、著作権上の権利制限につながってしまいます。

また、写真は長い時間を経れば経るほど、その価値が上がります。たとえば渋谷駅の風景写真など、何十年も前の写真が貴重な歴史資料であると同時に、今撮影した写真は何十年後かに同じく貴重なものになるはずです。経年したときに、価値が劣化しないのです。その際に、著作権者が不明だと写真が利用できず、その価値は意味を失ってしまって上記のような権利制限が行われかねません。

このような権利制限を防ぐために、我々は許諾を円滑に行えるシステムを作って速やかに使えるようにしておかないといけません。そのためには、写真家だけではなく、あらゆるジャンルの著作権者が足並みをそろえ、一丸となって声をあげていかなくてはならないと考えています。

「著作権を使う」ことについて、うまくいった例はありますか?

「貸与権」がそうですね。これは本来、著作権者の許可なく著作物を貸与(貸し出し)してはならないということで、貸与許諾したものについては使用料を徴収できるという法律です。ですが、書籍や雑誌の場合は従来の貸本業者を守るために、この貸与権の行使が留保されていました。しかしレンタルショップの普及に伴い、無法地帯状態があまりにも広がりすぎたため、我々の主張で著作権者を守るために留保条項をはずし、漫画を含む書籍や雑誌に貸与権を適用。結果、著作権者に貸与料が入るようになり、コミックレンタルは今や25億円の市場となりました。

もう1つ注目したいのは「追求権」です。これはうまくいった事例ではなく、これから何とかしたいもの。たとえば自分の作品を1万円で売ったとします。その買い手が手に入れた作品を100万円で売却することができ、その次の書いては500万円で売ったとしても、最初の売り手である著作権者には何も入ってきません。転売のたびに売れた金額の一部を著作権者に支払えるようにする追求権を、日本でも根付かせたいと思っています。

そして最大の問題は、オーファン・ワークス(孤児著作物)。著作権者不明の著作物のことで、許諾が取れないため使用できないものがあまりにも多すぎます。このままですと、先ほど述べたように市場が失敗しているとみなされ、権利制限がかけられる恐れもあるため、日本写真著作権協会と他の権利者団体が連携してプランを作り、解決に向けて動いています。


前編】でもご紹介した、権利者団体とのネットワークの関係図。関係省庁はもちろん、美術や文芸、漫画といったさまざまなジャンルの権利者団体と連携しています。

著作権を取り巻く環境が変わる今、どんな対応が必要だと思いますか。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が発効されることで私が懸念しているのは、アメリカ式の懲罰的な法廷賠償制度が導入されないかということです。訴訟社会のアメリカと違って、アジア型の権利処理方式としては、白か黒かで決着をつけるのではなく段階によって許諾の仕方を分けたほうがいいと考えています。これは私が委員も兼ねている、内閣府の知的財産戦略本部が出した「知的財産推進計画2016」にも掲載しています。

●知的財産戦略本部
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201605/09chizai.html

●「知的財産推進計画2016」概要
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/chizaikeikaku20160509.pdf

大切なのは、著作権の利用者と権利者の対立構造を作らないこと。そのための手段の1つとして、「ジャパコン(ジャパン・コンテンツ・ショーケース)」というサイトを、経団連がメインで作りました。これは日本のコンテンツを海外に向けて発信するための英語サイトで、Facebookのフォロワーは69万人を突破。アジアの若者たちを中心にフォロワーが広がっています。こういったサイトで写真、アニメ、映画、音楽、コミックといったジャンルの垣根を越えたつながり、さらにコンテンツの利用者と権利者のつながりを持つことで全体を把握すれば、あらゆる分野の権利を守ることに役立つのではないかと考えています。

商標権、肖像権、意匠権といったさまざまな著作権について、今後どんな動きが見込まれますか。

写真だけの著作権というカテゴリー分けは、もう古いですね。なぜなら、知財として今、最も注目すべきは、AI(人工知能)とビッグデータです。AIについては、ディープラーニング(深層学習)と呼ばれる新しい技術によって、それまでは人間がプログラムしたことしかできなかったことが、AI自らが学習して成長していくことが可能になりました。

著作権法の根底にあるのは、人の思想または感情を表現したものに著作権があるという考えです。でも今や、創作物は人だけが作れる時代が終わろうとしています。人ではないものが作ったものに著作権はないという定説が、今後は通用しなくなるかもしれません。これからの日本の知財は今までと違うカテゴリー分けを行う必要があり、そのうえで大量のコンテンツや著作物を守るための法律が必要になってくるでしょう。

人の手によらない創造物は、現状では著作権法の枠にはまらないし、それを認めるために法律を大きく変更することで既存の著作権者が不利益を被ってもいけない。そのバランスを取りながら、お互いの共存共益を図ることが今後の課題です。

このような状況の中、日本写真著作権協会としては単に写真の著作権問題だけを扱っていればいいとは考えていません。美術や文芸などさまざまな分野と連携して広範な著作権問題の解決に加わり、それを法律、制度として確立する役割を担っていきたいと思っています。


瀬尾太一(せおたいち)
写真家、日本写真著作権協会常務理事、日本複製権センター副理事長(専務理事代行兼務)

Profile瀬尾太一(せおたいち)
2002年より、文化庁・文化審議会著作権分科会委員(現職)、法制問題小委員会、契約流通小委員会等委員を歴任して著作権に関わる。
また、内閣府知財戦略本部・検証評価企画委員会、次世代システム検討委員会等の委員として知財政策に取り組むかたわら、写真家をはじめとする著作権者のデータベース構築にも参加し、現在、クールジャパンの情報発信を担う、経団連コンテンツポータルサイト「Japacon」統括主査。
これまでに、個展「異譚」(1992年)、「裸行」(1997年)、「幻花の舞」(2011年)などを開催。


日本写真著作権協会常務理事・瀬尾太一さんに聞く【前編】時代の変化と著作権の変化。協会の対応策は?

写真分野の統合組織として、写真業界における著作権活動を行ってきた日本写真著作権協会。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をめぐる問題など、著作権を取り巻く環境は大きく変わろうとしています。そのような時代の変化を受け、著作権に対してどのような活動を行っているのか、また今後の課題などについて、日本写真著作権協会の常務理事・瀬尾太一さんに、お話を伺いました。まずは【前編】をご覧ください。

日本写真著作権協会の成り立ちについて教えてください。

日本写真著作権協会は、1971年に設立されました。当時は、すでに設立されていた全日本写真著作者同盟というもう一つの組織と並立していて、著作権協会は権利を集中管理して保護するために、著作者の権利を預かって運用し、利益を得て分配するというJASRAC(日本音楽著作権協会)に似た活動を行ってきました。

一方、全日本写真著作者同盟は、著作権法の改正を目指していました。1971年に法改正が行われ、それ以前には写真の著作権は「公表後10年」までしか認められていませんでした(暫定延長があり、1969年時点では公表後13年)が、これが「公表後50年」に延長になります。ただ、これは「公表後起算」で、他の分野の「死後起算」に比べてまだ短く、20代で撮影した写真は著作者が70代になると著作権が切れてしまう、という事態が起こっていたのです。

写真の著作権がないがしろになっている状態をなんとかしたいということから、他の著作物と同じように著作権の有効期間を著作者の「死後50年」にしたいという働きかけを行い、それがかなったのが1996年のことでした。

「写真」という共通項のある2つの団体が、それぞれ著作権にまつわる業務を行っていたのですね。

その通りです。自分が役員になったときに、この2団体を一緒にしましょうよ、ということになりまして、2000年に合併して、現在の日本写真著作権協会ができました。それまで著作者同盟が行っていた業務も著作権協会が引き継いだのです。

それから活動の幅が広がり、2003年には有限責任中間法人として登記。データベースを発足して、美術やグラフィックと共通のデータベースを立ち上げ、著作権者IDを発行して共有するなど、新しい業務を開始しました。

ただ、著作権の保護期間が現行法では「死後50年」にはなったものの、旧法での規定で生存している写真家の著作権が満了しているという事態が続いており、失った著作権を復活させるのが次の課題です。

現在の会員団体はどのくらいの数なのでしょうか。

正会員資格は団体のみで、個人会員はいません。今は10団体が正会員です。
コマーシャル写真、スポーツ写真、風景や報道、写真館のようなところまでジャンルはさまざまですが、職業写真家の団体でまだ加盟していただいていないところもありますので、今後はそこにも働きかけていきたいです。

会員数について変化はありますか。

団体の数は変わっていないですが、構成する人数は減っています。これは、いわゆる職業写真家が減っているということです。
おそらくデジタル化の影響だと思われますが、以前はプロでないと写らなかった環境でも、今はコンパクトカメラやスマホなどである程度のクオリティの写真が簡単に撮れてしまいます。これによって「どんな時でも写る」ということに対する付加価値が下がってしまい、そのために、プロのカメラマンの仕事が減ってしまったのではないかと思われます。

そのような変化について、何か対策は考えていますか。

インターネットの普及のおかげで、「写真」の需要は増えています。ですがそれは、「無料の写真」です。アマチュアですらない一般の人たちがネットを通じて写真を放出し始め、これまではプロでないと成立しなかった仕事がネット上の無料または安価な写真で間に合うようになってしまった。そこで必要なのが、「この写真がなければどうにもならない」という絶対的価値を持つこと。そうしないと、写真家の生活はさらにキツくなりかねません。

写真そのものは大切な著作物として将来も残っていくものですから、著作権協会としては、今後はそういう写真家を囲い込み、権利者団体として権利を守りつつ社会にどう役立てるかを考えて実行していかなくてはと思います。

写真家の権利を守るために、有効な手だてはあるのでしょうか。

写真家だけの権利ではなく、他のさまざまな著作物全体の権利を守っていかなくてはと考えています。そのために、文芸、漫画、美術、グラフィック、脚本、音楽など、著作物に関連した各団体と密に連絡を取り、歩調を合わせて活動を行おうとしています。

関係省庁はもちろん、美術や文芸、漫画といったさまざまなジャンルの権利社団体とネットワークを作り、写真だけではなく著作物全体の権利を保護するシステムにしようと動いています。

私は日本複製権センターの副理事長も兼任していますが、そちらでは会員から預かった権利を複製権センターに再委託しています。そこにすべての分野の権利のデータベースを作り、一本化しようと動いています。

時代の変化と共に、著作権を取り巻く環境、また著作権そのものも大きく変化してきました。【後編】では、このような時代にどうあるべきか、これからの著作権がどう変わるかの予測、またそれに対する日本写真著作権協会の活動についてご紹介します。


瀬尾太一(せおたいち)
写真家、日本写真著作権協会常務理事、日本複製権センター副理事長(専務理事代行兼務)

Profile瀬尾太一(せおたいち)
2002年より、文化庁・文化審議会著作権分科会委員(現職)、法制問題小委員会、契約流通小委員会等委員を歴任して著作権に関わる。
また、内閣府知財戦略本部・検証評価企画委員会、次世代システム検討委員会等の委員として知財政策に取り組むかたわら、写真家をはじめとする著作権者のデータベース構築にも参加し、現在、クールジャパンの情報発信を担う、経団連コンテンツポータルサイト「Japacon」統括主査。
これまでに、個展「異譚」(1992年)、「裸行」(1997年)、「幻花の舞」(2011年)などを開催。


ビジュアルマーケットの未来を担う JPAAであるために

―JPAA発足のきっかけを教えてください。

日本写真エージェンシー協会(JPAA)の原型となる会が発足したのは、今から40年以上前のことです。オリオンプレスの創始者が同業者に呼びかけ、今後のビジネスについて相談する会を設けたのがきっかけでした。

―会の目的は何でしょうか。

会員企業同士の交流と懇親。著作権の流通市場を健全な状態に作り上げるという主旨の元に集まっています。会員企業には、ストックフォトだけでなく写真流通に関わっている会社もあり、現在は29社が会員となっています。

―JPAAでは、普段どのような活動を行っていますか。

koba-sub4定期的に情報共有の場を設けています。代表的なのが、毎年2月と8月に開催するフォーラム。直近で開かれるのは2016年2月の第7回JPAAフォーラムで、テーマは2つあります。

まず1つは、トラブル事例から学ぶ著作権について。これは、アマナイメージズがボストン法律事務所の画像不正利用に対して起こした訴訟から、事件の経緯と背景、勝訴の意義、訴訟から学ぶことについて取り上げます。

2つめは、改正著作権法とTPPの影響について学ぶ、です。TPP(環太平洋パートナーシップ)協定参加に伴い、著作権法がどのように変わるのか、業界にとってどのような影響が起こりうるかについて、専門の弁護士の見解を詳しく聞く予定です。

―活動についての情報は、どのような形で発信するのでしょうか。

Facebookやブログなどで積極的に情報発信を行っていく予定です。それはまず、著作権の権利者であるフォトグラファーへの最新情報の提供を目指していること。また、画像の利用者に対して、正しい使用を心がけていただくことが重要だからです。

というのも、今後のビジュアルコミュニケーションを鑑みたときに、フォトエージェンシーの立場として「ライセンスのルールを最適化」「料金体系など、画像を利用しやすいプラットフォーム作り」「時代のニーズを見極め、それに合わせた画像コンテンツの目利きである」ことは、避けては通れないと考えているからなのです。

―時代の変化は、ビジュアルの世界でも起こっていると思いますか。また、どのように対処していくお考えでしょうか。

紙媒体が幅をきかせていた時代においては通用していたことも、WEBを中心とした現代にはそぐわない部分も出始めています。時代に即したライセンスのルール、料金体系の最適化を率先して行うことで、著作権者のビジネスを守ることになり、画像利用者にはより魅力的なビジュアルを届けることにつながります。

今は、あらゆる情報が無料で手に入ります。そのせいか、インターネット上の写真も無料で使えると思っている人が多い。業界として一番警戒しているのは、画像に対する権利意識の低さと、マーケットの低価格化です。この2点は長年の課題ですが、魅力あるコンテンツを作り提供し続けていかないと、体力の弱い企業はつぶれてしまいます。そうならないためにも、エージェンシー内だけでなくフォトグラファーや利用者に対しての発信が必要なのです。

―ストックフォトにとっては難しい時代になったということでしょうか。

koba-sub2「ストックフォト」の概念についても、今は転換期にあると感じています。我々の役割はあくまでも著作物を作る人と利用者の間を取り持つことであり、「ストック」そのものが目標ではありません。写真を探し求めている人に対して充実した市場があることが重要で、それがストックなのか流動的に毎日更新されるものであるかはポイントではない。効率化を図りながら、画像を流通させるための仕組みを作る必要があります。

―そのような時代の変化を受け、これからのJPAAの活動はどのようにあるべきだと思いますか。

今後は、メインビジュアル1枚でガツンと伝える手法よりも、複数のビジュアルで奥行きのある表現、立体感のある表現をすることが求められているように感じます。としたら、1枚だけのインパクトのある写真だけでなく、関連した複数枚のビジュアルを同じテイストで見せられるようなシリーズを提供していってもいいのではないか。マーケットニーズの変化を捉えて、業界側も的確に変化していかなくてはなりません。

今の時代に合うルール、プラットフォーム、目利きのバランスを見極めつつ、業界全体で変わっていこうとしないと時代に取り残されてしまうという危機感を強く持って、今後の活動に臨んでいきたいと思っています。

 


小羽真司(こばしんじ)
日本写真エージェンシー協会(JPAA)会長

koba-profileprofile
1999年にアマナ入社。WEBプロデューサー・ディレクターとして、各種WEBサービスの開発に携わる。2009年にアマナイメージズ代表取締役社長に就任。2013年に日本写真エージェンシー協会会長(現任)、2014年アマナ取締役(現任)、同年共同通信イメージズ代表取締役社長(現任)。