日本写真著作権協会常務理事・瀬尾太一さんに聞く【前編】時代の変化と著作権の変化。協会の対応策は?

写真分野の統合組織として、写真業界における著作権活動を行ってきた日本写真著作権協会。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をめぐる問題など、著作権を取り巻く環境は大きく変わろうとしています。そのような時代の変化を受け、著作権に対してどのような活動を行っているのか、また今後の課題などについて、日本写真著作権協会の常務理事・瀬尾太一さんに、お話を伺いました。まずは【前編】をご覧ください。

日本写真著作権協会の成り立ちについて教えてください。

日本写真著作権協会は、1971年に設立されました。当時は、すでに設立されていた全日本写真著作者同盟というもう一つの組織と並立していて、著作権協会は権利を集中管理して保護するために、著作者の権利を預かって運用し、利益を得て分配するというJASRAC(日本音楽著作権協会)に似た活動を行ってきました。

一方、全日本写真著作者同盟は、著作権法の改正を目指していました。1971年に法改正が行われ、それ以前には写真の著作権は「公表後10年」までしか認められていませんでした(暫定延長があり、1969年時点では公表後13年)が、これが「公表後50年」に延長になります。ただ、これは「公表後起算」で、他の分野の「死後起算」に比べてまだ短く、20代で撮影した写真は著作者が70代になると著作権が切れてしまう、という事態が起こっていたのです。

写真の著作権がないがしろになっている状態をなんとかしたいということから、他の著作物と同じように著作権の有効期間を著作者の「死後50年」にしたいという働きかけを行い、それがかなったのが1996年のことでした。

「写真」という共通項のある2つの団体が、それぞれ著作権にまつわる業務を行っていたのですね。

その通りです。自分が役員になったときに、この2団体を一緒にしましょうよ、ということになりまして、2000年に合併して、現在の日本写真著作権協会ができました。それまで著作者同盟が行っていた業務も著作権協会が引き継いだのです。

それから活動の幅が広がり、2003年には有限責任中間法人として登記。データベースを発足して、美術やグラフィックと共通のデータベースを立ち上げ、著作権者IDを発行して共有するなど、新しい業務を開始しました。

ただ、著作権の保護期間が現行法では「死後50年」にはなったものの、旧法での規定で生存している写真家の著作権が満了しているという事態が続いており、失った著作権を復活させるのが次の課題です。

現在の会員団体はどのくらいの数なのでしょうか。

正会員資格は団体のみで、個人会員はいません。今は10団体が正会員です。
コマーシャル写真、スポーツ写真、風景や報道、写真館のようなところまでジャンルはさまざまですが、職業写真家の団体でまだ加盟していただいていないところもありますので、今後はそこにも働きかけていきたいです。

会員数について変化はありますか。

団体の数は変わっていないですが、構成する人数は減っています。これは、いわゆる職業写真家が減っているということです。
おそらくデジタル化の影響だと思われますが、以前はプロでないと写らなかった環境でも、今はコンパクトカメラやスマホなどである程度のクオリティの写真が簡単に撮れてしまいます。これによって「どんな時でも写る」ということに対する付加価値が下がってしまい、そのために、プロのカメラマンの仕事が減ってしまったのではないかと思われます。

そのような変化について、何か対策は考えていますか。

インターネットの普及のおかげで、「写真」の需要は増えています。ですがそれは、「無料の写真」です。アマチュアですらない一般の人たちがネットを通じて写真を放出し始め、これまではプロでないと成立しなかった仕事がネット上の無料または安価な写真で間に合うようになってしまった。そこで必要なのが、「この写真がなければどうにもならない」という絶対的価値を持つこと。そうしないと、写真家の生活はさらにキツくなりかねません。

写真そのものは大切な著作物として将来も残っていくものですから、著作権協会としては、今後はそういう写真家を囲い込み、権利者団体として権利を守りつつ社会にどう役立てるかを考えて実行していかなくてはと思います。

写真家の権利を守るために、有効な手だてはあるのでしょうか。

写真家だけの権利ではなく、他のさまざまな著作物全体の権利を守っていかなくてはと考えています。そのために、文芸、漫画、美術、グラフィック、脚本、音楽など、著作物に関連した各団体と密に連絡を取り、歩調を合わせて活動を行おうとしています。

関係省庁はもちろん、美術や文芸、漫画といったさまざまなジャンルの権利社団体とネットワークを作り、写真だけではなく著作物全体の権利を保護するシステムにしようと動いています。

私は日本複製権センターの副理事長も兼任していますが、そちらでは会員から預かった権利を複製権センターに再委託しています。そこにすべての分野の権利のデータベースを作り、一本化しようと動いています。

時代の変化と共に、著作権を取り巻く環境、また著作権そのものも大きく変化してきました。【後編】では、このような時代にどうあるべきか、これからの著作権がどう変わるかの予測、またそれに対する日本写真著作権協会の活動についてご紹介します。


瀬尾太一(せおたいち)
写真家、日本写真著作権協会常務理事、日本複製権センター副理事長(専務理事代行兼務)

Profile瀬尾太一(せおたいち)
2002年より、文化庁・文化審議会著作権分科会委員(現職)、法制問題小委員会、契約流通小委員会等委員を歴任して著作権に関わる。
また、内閣府知財戦略本部・検証評価企画委員会、次世代システム検討委員会等の委員として知財政策に取り組むかたわら、写真家をはじめとする著作権者のデータベース構築にも参加し、現在、クールジャパンの情報発信を担う、経団連コンテンツポータルサイト「Japacon」統括主査。
これまでに、個展「異譚」(1992年)、「裸行」(1997年)、「幻花の舞」(2011年)などを開催。