カテゴリー別アーカイブ: 会員会社紹介

写真の70年、マグナム・フォトの70年

1947年にニューヨークの近代美術館で旗揚げされた、マグナム・フォト。ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモアが創設メンバーに名をつらね、会員が共同運営する写真家の集団として活動を続けてきました。

2017年に、創設70周年を迎えるマグナム・フォト。多種多様なバックグラウンドを持つ写真家集団の歴史とこれからの展望について、マグナム・フォト東京支社の小川潤子さんに聞きました。
※トップ画像/スペースシップ・ジャンクヤード、ロシア、2000年

ノルマンディー上陸作戦、1944年
ノルマンディー上陸作戦、1944年

マグナム・フォトができた経緯について教えてください。

第二次世界大戦が終わったのが1945年。創設メンバーは皆、戦時中に報道写真家として取材をしていて、そこで撮った写真を『LIFE』のようなグラフ誌に載せていました。当時はテレビもなく、人々が世の中で起こっていることを知る手段において、グラフ誌が占める割合は大きかったのではないでしょうか。その頃は、写真家が撮ったものはフィルムごと出版社に送ってしまって写真家の手から離れてしまうので、勝手にトリミングされたりキャプションを付けられたり、いわゆる好き勝手をされていたのです。なおかつ、撮った写真の著作権はすべて出版社に帰属していて自分のものではなくなっていました。だから、撮った写真の権利を守るために、また権利を主張していこう、と発足したのがマグナムでした。最初はニューヨークとパリに、その後にロンドンと東京に支社ができて、今の拠点は4つあります。

東京に支社ができたのは、1989年11月。マグナムとしてはもっとグローバルに展開したいという目的があり、またアジアの写真家をもう少し仲間に入れたいということもあり、アジアに拠点を置くことにしました。80年代後半のアジアの中心といえば、経済的な意味では日本でしたし、ストック写真のマーケットが充実していたのも日本。それに、カメラの多くは日本製。そこで東京に支社ができました。

これまでに100名近くの写真家が参画し、現在の正会員数は49名。日本人に久保田博二がいます。

2016年マグナム・フォト年次総会
2016年マグナム・フォト年次総会

なぜ、マグナムは70年も続いてきたと思いますか。

まずは、時代に合わせていろいろな形に変わりながら進んできたことが一つあると思います。元々は写真家の権利を守るために発足しましたが、ビジネスとしてはBtoBの組織です。ですが今は、BtoCの時代。一般の人向けに特別なサイトを立ち上げ(英文のみ)、撮影秘話や裏話といったいろいろな企画を、読み物のように興味深く読んでいただける構成になっています。

また、エデュケーション(教育)と我々が呼んでいるワークショップをハイエンドアマチュアの写真家向けに行ったり、一般の人が買いやすいようにオリジナルプリントの廉価版を作ったり。次世代のフォトグラファーを育てるべく、コンテストなども企画しています。

もう一つ、一番の原動力は写真家の思いの強さ、ではないでしょうか。マグナムがなければ、キャパやカルティエ=ブレッソンの作品が今の時代にまで残ってはいなかった可能性があります。写真家は孤独な職業ですが、グループになれば権利の主張もできるし大きい企画もできる。歴史的瞬間を切り取った写真をアーカイヴしてきちんと管理し、発信し続けていくことができるのは、やはりマグナムという集団の力ですし、それを写真家達が自分達も同じことをしたいという思いの元に集まってきているから、メンバーが変わっても思いは変わらないし、写真を後世に残そうとしています。そういう写真家の思いが、70年続いてきた原動力なのではないでしょうか。

ニューヨーク、2001年9月11日
ニューヨーク、2001年9月11日

報道写真を取り巻く時代性や、人々の意識の変化を感じていますか?

見る人や撮る人の意識の変化というよりは、発表の場の変化を強く感じています。発足当初はテレビがまだなく、伝えるメディアとしては写真しかありませんでした。ですからその時代の証言として写真を撮っていたのですが、そのうちテレビが普及して今はインターネット。写真家が写真を見せられる場は、インターネット上か写真集か写真展のどれかになりました。

ただマグナムで大切にしているのは、誰かが写真家に命じて撮影をさせることではなく、写真家が自分でテーマを見つけてそれを掘り下げて撮るというスタイル。そのため、インターネットは親和性が高く、発表しやすくなったという一面もあります。

報道写真は、時代と共に扱われ方が変わってきています。紛争地域で自分の撮った写真が額装されて美術館の壁に飾られるなんて、たとえキャパでも夢にも思わなかったのではないでしょうか。でもその美術館の壁に飾っても残ることができる写真を撮ることができるのがマグナムの写真家であって、その点については変わらないのではないかと思いますね。発表する場は変わってきましたが、根底にあるものは変わらないのです。

リビア、2011年
リビア、2011年

これからの70年について、どのようにお考えでしょうか。

よりビジネスライクになっていくと思います。今まではファミリーというか仲間のような人達が集まっていたという印象ですが、5年前からビジネスサイドを強化すべくポジションを新設して、ビジネス関連はそちらに集中させ、写真家は写真を撮ることに専念するという分業化を推し進めていくのが次のステップだと考えています。

70周年の記念イベントについては各拠点でいろいろな企画があって、一番の目玉は「マグナム マニュフェスト」という写真集の出版と写真展。70年の歴史を振り返る写真展は、ニューヨークのICP(国際写真センター)で開催されます。日本では、7月1日(土)〜9月18日(月)まで京都文化博物館で「パリ・マグナム写真展」が、10月6日(金)〜25日(水)まで東京ミッドタウン・FUJI FILM SQUAREで「マグナム・フォト展」が開催されます。

過去の写真には有名な作品も多いですが、そのせいか日本ではマグナムのイメージが「まだあったんだ」と過去のものとしての扱いなことも。そうではなくて、新しい活動もたくさん行っているのだということをお伝えしていきたいです。マグナムの歴史は写真の歴史でもあると感じますが、過去にこだわりすぎる70周年にはしないようにしていきたいですね。

ロバート・F・ケネディの葬儀列車、1968年
ロバート・F・ケネディの葬儀列車、1968年

小川潤子(おがわ・じゅんこ)
profile
1989年、マグナム・フォト東京支社の創設に参画。2003年よりディレクターに。


多岐にわたる素材と、その魅力を存分に生かすノウハウ

写真やイラストレーションに加え、動画、音など、2500万点以上に及ぶ、さまざまな素材を扱っているアマナイメージズ。ストック素材の内部制作や、新しい分野の素材の開拓など、さらにその領域を広げています。

母体であるアマナのストック事業から2007年に分社化して、10年になろうとするアマナイメージズ。同社が持つ強みと今後の展開について、アマナイメージズの松野正也さん(取締役/クリエイティブディレクター)にお話を伺いましたamanaimages 松野正也

アマナイメージズが扱っているストック素材には、どのようなものがありますか。

まずは、人物のライフスタイル表現のイメージ写真や、国内外を広く網羅する風景写真、専門性の高い自然科学、ファインアート。他にも海外セレブや報道写真など、広告や新聞・雑誌など、さまざまな場面で使われる静止画素材を主力商品として取り扱っています。

弊社は、母体であるアマナが広告制作・ビジュアルコンテンツ制作を行っている会社であり、クリエイティブ系のイメージ写真の品質には強いこだわりを持っているというのが特徴でもあります。たとえば、1枚でそのままキービジュアルになれるインパクトのある写真。利用者のメッセージやコンセプトを代弁できる表現がなされている写真。そういった表現力や高い品質であり続けられていることが、弊社の特徴の1つかなと思います。

他に今、力を入れているのが、サイネージやWeb広告に使われる動画素材。デバイスやインフラ環境が整ってきたおかげで、そういった需要が順調に増えてきています。以前から動画素材は扱っていますが、最近では4Kはもちろん、8K、16Kといった超高解像度動画の問い合わせにも対応するようになりました。

さらに、それらの動画編集には欠かせない楽曲や効果音の素材、ソーシャルゲーム向けキャラクター素材や、建築やエンタメ媒体向けの3Dモデリング素材、デザイナー必須のフォントやベクター素材まで、あらゆるクリエイティブの現場で活用していただける素材を幅広く取りそろえています。特に最近は無料でダウンロードできるベクター素材も多いですが、トンマナがそろわなかったり、実際にデザインのバッティングも多くなりがちかと思います。アマナイメージズでは日本のマーケットでよく使用されるテーマに向けた、オリジナリティの高いベクター素材を多く用意しています。

写真に限らず、日本のマーケットにフィットする弊社ならではの素材を、時代に合わせて常に用意していくことを怠らないようにしています。GOKU/a.collectionRF /amanaimages

もう1つの強みとして、日本人素材が豊富だと聞きました。また、内部制作もされているとか?

いちばん大切なのは、まずは日本の市場に受け入れられるものであること。主に国内の消費者が広告やメディアの受け手となるので、そこに響かないとダメだと思います。ですから、ターゲットとなる日本人に共感し、伝わるクオリティの写真を提供できるかにこだわっています。

「アマナイメージズといえば日本人素材に強い」という印象を保つには、良質な素材を提供し続けなければいけません。取り扱う写真作品全体のクオリティアップを目的に、内部制作も行っています。

撮影は丸一日かけて、5〜6シーンを一気に撮影します。制作スタッフは広告業界全般の分析を行い、その時期にどんな写真の需要があるかを鑑みて、半歩先を行くクリエイティブを行うようにしています。また今までのストックにはない撮り方にも挑戦することで、時代の潮流も表現。そうやって撮影されるものは、ストックフォト慣れしていない、若手の外部契約作家さんのクオリティのベンチマークにもなるわけです。

一日で静止画と動画を一度に撮影することもありますが、今後は動画の内部制作の割合ももっと増やしていきたいですね。apjt /amanaimages

一般ユーザーをターゲットにした施策などはあるのでしょうか。

弊社は、これまで広告表現に特化したプロのフォトグラファーによるプロ向けの写真を多く取り扱ってまいりました。それに加え、2016年には、セミプロからデザイナー、インスタグラマーをはじめとするさまざまなクリエイターの方々が作品を登録する「ForYourImages」というサイトも始めました。このサイトではブログ、企画書や年賀状、個人事業の告知など、あらゆる用途に気軽に利用でき、個人ユースの需要に十分対応できるラインナップとなっています。今後もいろいろなジャンルで活躍するクリエイターが登録して、商品の幅もさらに広がってくると思います。

そういった個人のユーザーに向けては、「写真を探すコツ」をきちんと伝えていくのが今後の課題ですね。サイトを開いて、トップに出てくる検索窓にまずキーワードを入れて探す方が多いと思いますが、それでヒットしないと「このサイトに自分のほしい写真はない」と判断されてしまいます。

写真を探すコツとしては、まず何をビジュアルで表現したいかを具体的に頭の中で絵を描き、その浮かんだ絵を構成するパーツをキーワードに置き換えて検索してみることがおすすめです。たとえば企画書や報告書などに使う、企業の「成長」を表す写真を探しているときには、「成長」だけでなく「積む」「上がる」といった「成長」から連想される言葉や類語も検索してみてください。グラフ上に矢印が上向いたグラフィックが出てくることもあれば、カラフルな本が積み重なっている写真が出てくることもある。どちらも「成長」を表していますが、矢印は勢いのある上向きさが感じられるし、本の重なりはその企業の歴史や歩みなどまで感じさせられる。こうしていろいろな表現の画像を探し出せるようになると、ストックフォトの使い道の広がりやおもしろさも出てくると思います。

最近では、お子さんがいる家庭でフォトブックを作ることが多いですが、その際に手持ちの写真とストックフォトを組み合わせる、というのもおすすめです。フォトブックの表紙や扉に花、風景などの季節や行事のイメージ写真を差し込むだけで、まるで本屋さんに並ぶ写真集のようにグレードアップできます。自分と家族のストーリーにタイトルを付けるように写真を選ぶ。ちょっとしたひと手間を加えることで、親戚や友人に見せたときの伝わり方が変わってきます。写真に触れる楽しさを知っていただけたらうれしいです。

© Sue Hsu/500px/amanaimages
たとえば、期の移り変わりをドラマティックに。なかなか自分では撮影できない表現をストックフォトで演出してみるのも。

アマナイメージズの最大の強みを教えてください。

単に一つの素材を売るだけでなく、その素材を使ってクリエイティブ全体を制作する中でのサポートが手厚くできるところだと思います。ライツクリアランスや、被写体の権利者からのクレームや損害賠償請求などのトラブルを解決する無料免責サービスも用意しています。

アマナグループのネットワークを活用すれば、撮り下ろしもできますし、企画から、デザイン、編集、運用、管理まですべて網羅できます。幅広いお客様のニーズをワンストップで解決、高品質で提供できる。それはやはり、広告業界で長く仕事をしてきたアマナとしてのバックグラウンドがあるからということに他なりません。扱う素材も多岐に渡り、アマナイメージズはストックフォトエージェンシーから今や総合ストック素材エージェンシーとなりました。複合的なサービスを含めて、いろいろなプラットフォームと連携したビジネスへの展開を、今後も積極的に行っていきたいですね。


松野正也(まつのまさや)

amanaimages 松野正也

profile
株式会社アマナイメージズ取締役。2007年グラフィックデザイナーとして株式会社アマナに入社、CI/VI開発・制作に携わる。2009年からamanaimages.comのWebデザイン・サイト運営を担当。現在は、主に広告制作マーケットに向けたストック商材のクリエイティブディレクションを担当している。
http://amanaimages.com/


写真オタクが集まった、写真好きのための会社

広告に使われるクリエイティブ素材だけでなく、スポーツや報道の写真や動画、その撮り下ろしなどを手がけるアフロ。1998年からは日本オリンピック委員会のオフィシャルフォトエージェンシーに認定され、オリンピックの公式写真集の制作も行うなど業務の幅を広げています。今後の展望について、代表取締役社長の青木紘二さんにお話を伺いました。

オリンピックの公式写真集を出されるようになったのは、いつからですか?

1998年の長野オリンピック・パラリンピックからですね。それから20年、2016年のリオデジャネイロで10冊めになります。
選手の顔写真は出発前に撮影。大会期間中は私も含めて弊社から7名のカメラマンが現地に行き、閉会式に出る間もなく帰国して写真のセレクト作業に没頭しました。選手が首相官邸に挨拶に行く前に集合写真を撮るのですが、皆さんは自由というかなかなか集合してくれず、ウチのスタッフ総出で選手をまとめたりする場面もありました。
写真集の発行作業に当たっては、企画、編集、写真手配、レイアウト、印刷まで、すべて弊社で行いました。

オリンピックの現場では、撮影に一番いい場所はテレビカメラの独占状態。フォトポジションは、年々追いやられている印象です。とはいえ、写真には写真の魅力がある。一瞬を切り取った写真には、見る人の想像力をかき立てる力があります。体操の内村航平選手が初めてメダルを取った北京オリンピックの写真を出したときには、内村選手のご両親からお礼の連絡があったほどです。
リオデジャネイロオリンピック日本代表選手団2016

アフロがスタートしたのは、いつのことでしょうか。

最初は、自分の写真事務所としてのスタートでした。1980年のことです。私はそのころスイスに住んでいて、スイスのスキー教師国家資格を取得してからカメラマンになり、世界中を旅していました。旅先で撮った写真がすでにストックとしてあり、声をかけた同業者がスポーツ、特にスキーの写真をたくさん預けてくれました。
最初に広告を打ったときのキャッチコピーが「スキーなら、なんでも」というものでした。当時、山と渓谷社の『skier』という雑誌で年間300ページの制作を担当していたこともあり、スキーの写真があちこちで使われるようになったのです。

1992年にバブルが弾けたとき、弊社だけはなぜか売り上げが伸びました。「アフロだけなぜ?」と取材やインタビューを多数受けたのですが、私の答えは「わかりません」。本当にわからないんですよ。今考えると、最初はスキー、次にゴルフ、風景、そしてクリエイティブの写真、と少しずつ取り扱いを増やしていったら、お客さんも少しずつ増えていったんです。最初から間口を広げすぎず、できるところからジャンルを特化して成長していったのが、大きく失敗しなかった理由なのではと思っています。

報道写真は儲からないという定説があって、最初はクリエイティブだけを扱っていました。ただ以前から、ニュースはやりたかったんです。スポーツは得意なのでスポーツのニュースから取り扱いを始め、芸能をやってから時事写真へ。そうしているときに、長野オリンピックの公式写真集を出すエージェンシーに選ばれました。それまでのスキー写真の取り扱いなどから、ウィンタースポーツの写真はアフロだという認識をしてもらえたこと、またただの報道写真ではなく作品という形で撮った写真を写真集にしたいとオリンピック委員会の方たちに推してもらえたのは、本当にうれしかったですね。
©Iwao Kataoka/AFLO

写真エージェンシーにとっては厳しい時代になってきているようですが、そのことについてどう思われますか。

写真というものがこの世からなくなることはないと思うのですが、機材がよくなったおかげで誰もがある一定のクオリティの写真を撮れるようになりました。これは、プロのカメラマンや写真エージェンシーにとってはビジネスが成り立ちにくく、将来は厳しいと感じます。

動画では、8Kの存在が脅威。あの奥行き感は特別です。この出現は、世の中を変えていくでしょうね。今までとは違って8Kなら静止画を切り出すこともできてしまう。こういった難しい状況であることを真摯に受け止めてやっていくしかない、そこにビジネスチャンスが見出せるのではないでしょうか。

弊社では『死ぬまでに行きたい世界の絶景』や『108の世界遺産』といった本のアイデア出しなども行っています。このようなことができたのは、やはりオリンピックの公式写真集の制作を自社で行ったおかげで、本に関する知見が蓄積できたから。写真をどう使ってもらえばいいかという提案から働きかけることも、今後のエージェンシーの活動を広げるヒントになるのではないでしょうか。

近年は、動画のマーケットも広がってきています。この動画は、江戸末期から受け継がれてきたガラス工芸、江戸切子の職人技を紹介したもので、自社で企画から撮影・編集までを手がけました。

今後の展望についてお聞かせください。

弊社のサイトは更新頻度が高く、オリンピックやワールドカップのときは24時間態勢で情報を発信してきました。それに、利用されるお客様から「切り口がおもしろい」という評価をいただきます。写真好きなオタクばかりが集まっているので、写真に対する愛情や「楽しい」という気持ちがサイトにも出てしまうのでしょう。「写真をどう使うか、どう伝えるか」という写真への想いが大切です。
これまでにもいくつか転機はあったのですが、それをなんとか乗り越えられたのは「好きなことをやろうよ」という姿勢を通してきたから。その「好き」な気持ちが集客性につながればいいのですが、これがなかなか。業界で一番、ビジネスライクにやっていない会社なので、生き延びられるかは心配ですけど、そこがウチのいいところでもあると思っています。


青木紘二(あおきこうじ)青木紘二(あおきこうじ)

Profile
株式会社アフロ代表取締役社長。20代でスイスに留学、スイス連邦公認国家スキー教師の資格を取得。スイスをベースに、カメラマンの仕事を開始。1980年に株式会社アフロを設立。1990年に帰国。1998年に長野オリンピック・パラリンピックの公式写真集を発行。以降の夏期・冬期のオリンピック・パラリンピックの公式写真集を手がける。
http://www.aflo.com/


感動と喜びを与える「旅」の画像が、心豊かな社会を作る

主に旅関連の画像や情報の提供、Web関連のシステム開発などを手がけているJMC。画像を取り巻く最近の傾向について、また今後のビジネスの展開について、JMCのJTBフォト営業センターの高橋久泰さんと根本英樹さんにお話を伺いました。

STEVE VIDLER / JTB Photo

主な活動テーマについて教えてください。

弊社では、「感動と喜びを与える」をテーマに、ビジュアルコンテンツを提供しています。

2012年6月にJTBフォトとJMCが合併。それまでJTBフォトでは旅に関する写真や情報を取り扱っており、JMCではWebサイトの制作やシステムの開発・運営、情報コンテンツの発信などを行ってきました。合併によって画像とITという親和性の高さから事業領域が広がって協同できる部分も多くなり、コンテンツ力が増したという実感があります。

強みといえば、やはり「旅」関連の画像が多くそろっていること。もともとJTBの旅行パンフレットに掲載する画像のデータベースを管理していたJTBフォトが基軸ですから、旅館やホテル、食、風景といったが画像がそろっていました。さらに画像を集める段階で掲載許可をクリアにし、安心して使える画像データベースを構築し管理しています。Photo Works FREAK / JTB Photo

Photo Works FREAK / JTB Photo

写真に対する、社会の空気は変わったと思いますか。またそれはどのような点においてですか。

スマートフォンの画像アプリなどの普及のおかげで、写真に対する一般の人の知見がアップしたと感じています。これからはWebコンテンツがさらに重要視されるでしょうし、スマホで撮影した写真もかなり解像度が高いので、旅行パンフレットの表紙はともかく中に掲載する写真やWeb上では、今後はスマホで撮影された写真が掲載されるようになるのではないでしょうか。

そのようなときにどう差別化を図るかが、これからの大きな課題です。
弊社の場合はやはり「旅」を扱っている会社なので、旅行コンテンツに特化するという視点でアイデアを練り、新しい取り組みができないかと模索しています。これまでの旅のトレンドといえば、世界遺産と絶景。最近では、鉄道の旅に注目が集まり始めているので、そういった動きを敏感にキャッチして今後の展開に生かすことができればと思います。

また、画像だけでなく旅情報と合わせて提案することで、他社との差別化を図ることが必要なのではないかと考えています。

Masanori Yamanashi / JTB Photo

Masanori Yamanashi / JTB Photo

御社の今後の展開について教えてください。

ストックフォトを販売するという業態が難しい時代になってきていることは以前から感じているので、それに代わる写真関連の新規ビジネスを作っていかなくてはなりません。合併後に画像のデータ化が加速度的に進み、画像を提供しやすくなりました。また、情報コンテンツのデータベース化もでき、画像と情報をセットで販売できるようになったのもよかったと思います。それを基盤に、次の手を考える予定です。

HIDEKI NAWATE / JTB Photo

画像が持っているのは、感動と喜びを与える力。特に旅の写真は、風景でも食でも、行ったことのない場所、食べたことのない食事といった現場の魅力をたった1枚の写真で見せることで、写真の持つ力が発揮できます。1枚の写真がきっかけで、その場所に行ってみよう、あの料理を食べてみよう、あの人たちに会いに行こう、そうやって誰かの冒険心を後押しできるのではないでしょうか。感動と喜びを与えることが心豊かな社会の実現につながるのだという思いを抱きつつ、進んでいきたいです。


■株式会社JMC
1989年 設立。
JTB及びJTBグループの旅行情報を専門に取り扱う中核会社として発足。

2012年JTBフォトと合併。
主な事業内容として、Web、システム、ソフトウェアの開発・運営を行うIT事業、旅行関連情報や画像の収集・編集を行うコンテンツ事業、営業支援商品の販売やサービスを行うサポート事業がある。

<所在地>
東京都中野区本町2-46-1 中野坂上サンブライトツイン10F
TEL:03-5371-3152
http://www.jtb-jmc.co.jp/

■高橋久泰
profile
2001年、JMCに入社。オンライン旅行予約サイト開発のプロジェクトマネジャーを担当。2013年よりフォト部門に異動。現在は、JMCのJTBフォト営業センター・チームマネージャーを務める。

■根本英樹
profile
2001年、JTBフォトに入社。出版・広告会社への営業を担当。現在は、JMCのJTBフォト営業センター・スーパーバイザーを務める。


変わらぬ自然の美しさを、写真を通して伝え続けていく丹溪

株式会社 丹溪
「緑陰に咲く」前田晃

このブログでは、JPAA(日本写真エージェンシー協会)の会員会社を順次、紹介しています。
今回は、東京都港区に拠点を構える丹溪です。1967年に写真家・前田真三さんが設立し、写真活動を行ってきました。
これまでの経緯、また今後の展開について、代表取締役の前田晃さんにお話を伺いました。

丹溪の主な活動内容を教えてください。

父・前田真三が撮りためた写真と、僕が今、新たに撮っている写真、それらをストックして、活用することがメインの業務です。
枚数としては、自分のものよりまだ父の写真のほうが多いですね。先日、モノクロの写真をチェックしてみたら、約18,000点ありました。35mm、ブローニー、4×5なども。これにカラーを加えると、ざっと20万点はありそうです。

それだけの作品を、どのようにアーカイブしているのでしょうか。

この中で重要な作品は、約5,000点くらいだと思います。モノクロについては、1960年〜70年代前半に、父がまだサラリーマンだったころに撮影されたもの。出張先や山あいの風景が多く、当時の様子がはっきりと捉えられていて、時代考証的にも大切な記録写真です。ただすべてがフィルムのためビネガー症候群という劣化が始まっているものもあり、データ化が急がれます。
問題はデータ化すればそれで終了ということではなく、データはもちろん原本であるフィルム自体も保管しておかなくてはならないということ。その保管スペースも悩ましいです。またデータに移行するにしてもコストがかかりますので、どなたかいらなくなったスキャナーを処分するおつもりでしたら、ぜひお声がけください(笑)。

株式会社 丹溪
前田真三写真集『風景遍歴』(1997年 日本カメラ社)
株式会社 丹溪
「元旦の紅梅」前田晃
株式会社 丹溪
「海辺の伏流水」前田晃

以前と比べて、写真に対する人々の意識は変わったと思いますか?

今は、写真撮影だけではカメラマンが食べていけない時代になっていると感じます。スマホがあればそれなりの写真が簡単に撮れるし、一億総カメラマン化の時代。写真を使う側の意識も変化していて、ある程度のクオリティがあれば素人がその場でさっと撮った写真でもいい、それが安いからとビジネスになってしまっています。多少値が張ってもクオリティの高い写真を必要とされた時代と比べると、プロフェッショナルであることが受難になってしまっているようです。

そのような時代において、大切にしていることは何でしょうか。

弊社の場合はストックしている写真が風景や自然を扱ったもの。このような時代でも、そういった被写体に対する人々の欲求が尽きることはないでしょう。風景や自然は古びたりしないし、その移り変わりを捉えた写真に作家性があるのも、ウチの強みだと思っています。
写真そのものの魅力は変わらないですが、1枚の写真で何かを表現するのは難しい。ある程度まとまった量の写真を見せたり、テーマなどを設定したり、いろいろな要素や工夫が必要ですね。

株式会社 丹溪
「葉陰のネムノキ」前田晃
株式会社 丹溪
「夜明けの満月」前田晃

写真の持つ力とは、何だと思いますか。

風景写真は古びないとは言いましたが、見る人の心の持ちようが変わることもあるし、流行みたいなものもないわけではありません。今の時代に迎合しようということではなく、時代が持つ側面性を端的に表現できるのが写真の魅力ではないでしょうか。
とにかく派手な印象がある、ぱっと見て目を引くものがいい、そんな評価をされることもありますが、対象が地味でも心に残る表現はあるはず。自然の美しさそのものが、人の気持ちを動かす。そこに介在するのが写真なんだと思います。

今後の展開について教えてください。

まずは、大量のフィルムを整理してデータ化することですね。
それから、北海道・美瑛、東京・八王子、愛知・茶臼山の3カ所に写真ギャラリーがありますし、地方の美術館や写真展への貸し出しもしているので、そういった展示を充実させることも続けていきます。
僕には息子がいて、現在はデザインの仕事をしています。彼に手助けしてもらって、新しい感覚で写真の世界観を若い世代にも伝えられたらいいですね。人の心を動かす写真の魅力を、もっともっとアピールしていきたいです。

株式会社 丹溪
「桜と宝剣」前田晃
株式会社 丹溪
「もみじの葉陰」前田晃
前田晃写真展「季模様」

2016年7月27日(水)まで、東京・八王子「夕やけ小やけふれあいの里 前田真三写真ギャラリー」にて。前田真三写真展「絵模様」と併催。
トップ画像は「ユリ園幻想」前田晃。この写真も含め、記事内に掲載した写真は、写真展「季模様」より。

「風景のかたち―前田真三と現代日本の風景写真」

2016年8月6日(土)~10月10日(月)、栃木・足利「足利市立美術館」にて。


■株式会社丹溪
1967年
前田真三によって設立
1974年
初の写真集『ふるさとの四季』刊行
1978年
長男の前田晃が丹溪に入社
1987年
北海道美瑛町に写真ギャラリー「拓真館」を設立
2001年
東京都八王子市に「夕やけ小やけふれあいの里 前田真三写真ギャラリー」をオープン
2002年
愛知県豊根村に「茶臼山 高原の美術館」をオープン

<所在地>
東京都北青山2-7-26 メゾン青山402
TEL:03-3405-1681 FAX:03-3405-1683
http://harukanaruoka.com

■前田晃
1954年、東京都世田谷区生まれ。中学生の頃から父の撮影に同行、助手を務める。1993年から独自の撮影活動を開始。写真集に『Intimate Seasons/四季の情景』など。
株式会社丹渓 写真:今浦友喜


仙台ならではのビジュアルコンテンツを提供し続ける、アーク・イメージギャラリー

このブログでは、JPAA(日本写真エージェンシー協会)の会員会社を順次、紹介していきます。
まずは、宮城県仙台市に拠点を構える、アーク・イメージギャラリー。1988年に設立以来、オリジナリティあふれるビジュアルを発信し続けています。
今回は、代表取締役の村上ゆかりさんにお話を伺いました。

アーク・イメージギャラリーの主な活動テーマは何でしょうか。

いつも思っているのは「オリジナリティにこだわりたい」ということです。サービスもビジュアルそのものも、アーク・イメージギャラリーならではの個性を持たせたい。
扱う画像の種類や数では、規模の大きい会社にはかなわないところがあります。であれば、特徴のあるものを作っていくことを大切にしよう。そう考えています。

そのオリジナリティを共有するために、カメラマンとのコミュニケーションで気をつけていることなどはありますか。

hi-biコンテンツ
弊社には「hi-bi」というブランドがありますが、これは以前から一緒に仕事をしているカメラマンやデザイナーの方々8名で、コミュニケーションを取りながら制作しています。少人数のほうがトーンをそろえやすいし、気持ちを合わせやすいですね。密にコミュニケーションを取って、一緒にがっちり組んで仕事をする、という感じでコンテンツを作っています。

「hi-bi」の画像はどれもナチュラルな空気感がありますね。和む、穏やか、安らぐ、そんな言葉がぴったり合うような写真ばかりです。トーンが安定しているのも、アーク・イメージギャラリーならでは、という感じがします。

目標としては、できるだけ「ストックフォトらしくない」ところを狙っているつもりです。

hi-biコンテンツ
特に「hi-bi・リアルスマイル」シリーズは、なかなかストックフォトになかった、地方で働く一般の方々の笑顔の肖像写真を、山形県寒河江市の皆さんに協力していただき、2年間かけて撮りためたシリーズです。山、温泉、田んぼ、花など、自然豊かなロケーションを生かして撮ることができたのは、これが仙台ではなくまして東京でもなく、寒河江というローカルな土地だったからこそ。
カッコいいビル群やオシャレなカフェの写真などは難しいですが、そこに生きる人を中心にした暮らしとその本物の笑顔が撮れたのは 東北の強みだと思います。

100スマイルズ写真展

3月には舞台となった寒河江市で「100 SMILES(100人の笑顔写真展)」という写真展を行い、額装した写真はモデルになってくださった皆さんにプレゼントしました。

それは結果的に、地域を元気にするプロジェクトになりましたね。

hi-biコンテンツ

他の画像に登場するモデルは、どのように手配していますか。

自分たちでモデルを探してリスト化し、「ARC MODEL’S」というモデル登録の仕組みを作りました。ファミリーシーンなどであれば十分に対応できるモデルがそろっています。
演出のディレクションについては、スタイリスト兼コーディネーターとして自分が入りますし、そこまでできるのが弊社のオリジナリティなのかなと。

アーク・イメージギャラリーの画像が地元の人たちの笑顔であふれているのは、モデル選びからのポイントがあったんですね。

撮影からモデル手配、スタイリング、コーディネートと、弊社でワンストップで承れる体制にしています。最近では、インバウンド需要のせいか外国人モデルを使う撮影が増えてきているので、外国人モデルのリストも充実させるように動いています。

アーク・イメージギャラリーの今後の展開について、お聞かせください。

常に、次のことにトライしたいと思っています。2015年は仙台市中心部にレンタルハウススタジオ「Aスタジオ」を作り、ストックフォトでは「リアルスマイル」をまとめました。2016年も何か新しいことをと企画・準備中です。
アイデアが浮かんだらすぐに実行したくなるので、スタッフは大変。行動力とスピードしかない私ですが、社員は必死についてきてくれています。

レンタルハウススタジオ「A-studio」
レンタルハウススタジオ「A-studio」

村上さんは長い間、この業界で写真の仕事に携わってこられましたが、写真が社会に与える影響についてどのようにお考えですか。

社会に対して、などと大それたことではないですが、写真はとても大事なものだと感じている方が多いと思います。東日本大震災の際に、被災した皆さんが取り戻したかったものの1つに写真・アルバムがありました。撮影したときの時間、そこに込められた想いが形になっているのが写真なんでしょうね。
寒河江市での写真展のときにも、来場された方の写真を無料で撮影してお送りしたら、とても丁寧なお礼状をいただきました。写真は社会というより、個人にとってものすごく大切なもの。人の心に残る写真、人に喜んでいただける写真をこれからも作成していきたいですし、それが仕事として生かすことができたらなおうれしいと思います。


■株式会社アーク・イメージギャラリー
1988年1月
株式会社ユニグラフィックのストックフォト部門としてアーク・イメージギャラリー設立
2006年8月
同ユニグラフィックより分社、株式会社アーク・イメージギャラリー設立
2015年6月
レンタルハウススタジオ A-studio 開設

<所在地>
〒980-0804
宮城県仙台市青葉区大町2-11-10 ロイヤルパーク大町202号
TEL:022-797-5066 FAX:022-265-5377
http://arcimage.jp

■ 村上ゆかり
1964年3月仙台市生まれ。1988年にアーク・イメージギャラリー入社、2006年に代表取締役に就任、現在にいたる。